今週のお題「復活してほしいもの」
こんばんは。あさかいおです。
きのうのドーナツ屋さんの記事に、ありがたくも星をいただきました。読んでくださって、ありがとうございます…!ほんとうにうれしいです。
わたしも、みなさんのすてきな記事を読んでいるのですが、ブログをはじめたばかりで、書くことでいっぱいいっぱいになっており、星の機能を使いこなすところまでたどり着けておりません。読みっぱなしで、すみません…。
きのうは、書いたのが不本意ながら夜になってしまい、しめっぽい文章になってしまいました。ドーナツ屋さんがなくなってしまったのは、かなしくさみしいことなので、しめっぽくなって当然なのですが、日が出ているうちに書いていれば、またちがったのかも…。
でも、納得がいかない文章でも、きのうの分はきのうの分としてブログにあげたかったので、あげました。
さて、ドーナツ屋さんのつづきです。
ものすごい勢力の感染症と、いつもよりそってくれたドーナツ屋さんの閉店がダブルでやってきて、ズーンと気持ちがしずみました。
このできごとで痛感したのは、あたりまえのことなんてどこにもないことと、ものごとにはすべて限りがあるということです。
人は、そのことを頭のどこかでわかっているはずですが、いつもどおりの日常をすごしていると、そんなことぜんぜん考えていません。だから、「いつもどおり」が揺らがないと、気づくことができない。
おそろしい感染症がこんなに爆発的に流行しなければ。
大好きなドーナツ屋さんがこれからもずっとあの場所にあってくれたら。
これらの願いがかなうとしたら、どんなにうれしいだろう。
ですが、「いつもどおり」がなくなって知った感情をとりのぞかれて願いがかなうとしたら、どうだろうとすこし思うのです。
もちろん、もとの日常がもどってほしいという強い思いは変わりません。
でも、失ってみて、こんなにもすばらしいことだったなんてと気づけたことは、これから生きていく上で、よかったことなんじゃないかとも思います。
なじみのドーナツ屋さんが閉店しても、なにも気にせずに外出できる日常がいつ戻るのかわからなくても、毎日はつづきます。後ろ向きになってしまう日もあるけれど、限りある日々を思いっきりたのしみたい。引っ越してからずっと気になっていたとなりのカフェにデビューを果たし、あたらしいくつろぎの場ができつつあるわたしです。